ルーウィン・デイヴィスの頃

Posted on 2014年6月14日土曜日

1961年
NY グリニッジ・ヴィレッジ
ボブ・ディランが憧れた 怒らせた
伝説のシンガーたちがいた。


コーエン兄弟の新作『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』は、ボブに多大な影響を与えたデイヴ・ヴァン・ロンクの自伝を元に作られた人間ドラマだ。
主人公は仕事や人間関係に悩みながら、自分の生きる道を模索する。劇中、彼は決して大成しない。しかしひたむきにステージに立つその姿は決して無駄なものではない。彼らと同じように音楽を志した一人の若者が、ある時ステージに現れるのだから…。

デイヴ・ヴァン・ロンクと言えば、十八番(おはこ)だったトラディショナルソング The House of the Rising Sun(朝日のあたる家)をボブに先にレコーディングされてしまったという気の毒な話が有名である。ボブはヴァン・ロンクに憧れすぎてしまったが故に、ヴァン・ロンクの歌い方を真似、服装を真似、ついには歌う歌まで真似してしまった。当時のフォークシーンでは昔から歌い継がれて来た伝統的な歌をただ歌うだけではなく、地方のスタイルを正確に伝えること(と言いながらやはりアレンジは加わるものだ)が大事にされ、多くの田舎町の歌や、漁師の歌や、木こりの歌などが歌われて来た。 The House of the Rising Sun(朝日のあたる家)もまたデイヴが自分流にアレンジしたものを歌っていたのである。民間に伝承されて来た歌に著作権はないため、気に入れば自分のレパートリーに入れることは自由でありボブもステージでよく歌っていた。しかしボブは若気の至りか、天然か、デイヴのアレンジしたバージョンをレコーディングしてしまう。

そんな可笑しくも悲しいエピソードはこの映画では語られない。

主人公のルーウィン・デイヴィスという男はデイヴ・ヴァン・ロンクではなく、当時のNYにいたフォークシンガーたちの一般的な姿だという。
だからルーウィン・デイヴィスをヴァン・ロンクだと思うのは誤解の元だ。デイヴ自身は猫を預かっていないし、あんな風には歌わないし、たぶん友達の彼女を妊娠させてもいない。
今作の音楽製作を担当したT・ボーン・バーネットはこう言っている。
「彼(ルーウィン)は私だし、私の友人だよ。彼はボブ・ディランではないすべての人だ。」

1960年代のNY、左からデイヴ・ヴァン・ロンク、ジョーン・バエズ、レナード・コーエン、ジュディ・コリンズ
とはいえ、この映画にはデイヴ・ヴァン・ロンク自身のエピソードが多く盛り込まれている。

例えば、最初に契約していた小さなレコード会社のオーナーが「冬のコートを買う金もない」と言うルーウィンに、金ではなく自分のコートをあげようとするエピソードがそうだ。デイヴはFolkways Recordsのオーナー、モウ・アッシュに、映画と同じようにその後50ドルをもらった(映画では40ドルだったが)。
また、大学教授の家で一曲歌ってくれとせがまれて「オレはプロだ。歌うことは遊びじゃない。オレはあんたを家に呼んで友達の前で講義してくれとは言わないだろう」と叫ぶのも、ヴァン・ロンクが信条にしていたことに他ならない。なぜミュージシャンは聴いてもらえるだけありがたいと他人に思われるのか、そしてそう思う歌い手のなんと多いことか。なぜ皆、歌うことに見返りを求めないのか?と。
ヴァン・ロンクもまた住所を持たず友人の家を転々としていた時期があり、商船に乗り、証明書を紛失した(泥酔状態でヒッチハイクして財布を盗まれた)。

この映画にはそんなヴァン・ロンクのような架空の男の話に、コーエン兄弟らしい奇妙なエピソードが挟み込まれている。
シカゴへ相乗りをした車に奇妙な二人の男が乗っているのだ。
一人は無口なビート詩人(ギャレット・ヘドランド)で、もう一人は足の悪い巨体の老人(ジョン・グッドマン)。
ジョン・グッドマンのモデルはブルースシンガーでシンガーソングライターのドク・ポーマスである。彼は子どもの頃ポリオを患ったために松葉杖をついていた。
この旅のエピソードは人によって解釈が異なるだろう。
私はあの車の旅は主人公の夢のようなもので、無意識の具象化ではないかと思っている。同時に、遠回しにヴァン・ロンクを表現しているのではないかとも。その証拠にジョン・グッドマンは自分はジャズの人間であると言い出し、ウクレレの話をし、フォークをバカにする。ヴァン・ロンクは子どもの頃ウクレレをやっていて、ジャズに傾倒し、そして音楽を続けるためにフォークを選択したからである。ジョン・グッドマンは過去と現在の自分を容赦なく突きつけて来る悪魔のような自意識なのだ。男は座席の後ろから適当なことを言い続けルーウィンを苛立たせるが、彼がトイレである落書きを見たとき男は意識を失って倒れる。
ヴァン・ロンクは偽名を使って小さな雑誌に音楽批評を書いていたこともあるが、同乗していたビート詩人も、文芸の人間だなんてその風貌からは分からない。
そして猫こそ主人公ルーウィンの分身なのだ。
車の中には主人公とヴァン・ロンクを集めたような不思議なグループが乗っていた。
ルーウィンは過去の自分を捨て去り新しい場所での勝負に挑もうとするが、勝負はうまくいかない。そしてその帰り、置き去りにした猫を彼は車で跳ねてしまう。あれが本当に置いて来た猫だったのか、それとも別の野生動物なのか、定かではない。ルーウィンはそうして過去の自分を殺しても、ニューヨークに戻るとやはり捨てられないものがあるのだと分かる。過去の亡霊を殺したと思っていた後に、本体と遭遇するからである。映画の冒頭で「ルーウィンが猫を預かってます」と電話で言うと「ルーウィンは猫?」と聞き間違えられるのは意味深だ。

コーエン兄弟は「うまくいかないけれど、そんなに酷くも無い」男を哀愁たっぷりに描いた。この映画を見た人は、もっと長くルーウィン・デイヴィスを見ていたいと思うし、この男がシンガーとして大して成功しなくても別に良いとさえ思うだろう。

だがこの時代のヴィレッジを知っている人は、映画のテイストが暗く、主人公たちが皆重々しい表情をしていることを残念に思ったようだ。
デイヴ・ヴァン・ロンクの元妻であり、ボブの世話もよく焼いていたテリ・ヴァン・ロンクはこの映画についてこう言っている。
「ここには当時の私たちを表しているものは何も無い。アパートは小綺麗だし、シンガーたちはみんな音楽を愛しているようには見えない。当時の音楽家たちは皆で支え合っていたのに、この映画では誰もセッションしようとしないし、政治の話もしない。女はステージに出るために店のオーナーと寝なければならないなんてくだらな過ぎる。嫌なオーナーは沢山いたけどそんなプロセスはなかった」と。しかも当時、中絶は違法だったため映画のように堂々と開業医の元に行ってお願いするなんてことはなかったそうだ。男が中絶を手配するようなこともなかった。確かにこの都合の良さは、いささかコーエン兄弟のファンタジーが強く出てしまったと思わざるを得ない。

左からティナ・デヴォーグ、スーズ・ロトロ、テリ・サール(元妻)、ボブ・ディラン、デイヴ・ヴァン・ロンク
残念なのは、結局この映画の舞台がパラレルワールドのようなグリニッジ・ヴィレッジになってしまったことだ。
当時の複雑なフォークシーンを再現することもなければ、テリの言うように音楽家たちの若々しい交流や、彼らが必死になって議論した政治への関心事にも触れられない。デイヴ・ヴァン・ロンクの伝記を元にしたというだけで、主人公はヴァン・ロンクのように陽気で知性に溢れているわけではなく、ただ陰鬱で間抜けなだけの男なのだ(ヴァン・ロンクは“ゲイト・オブ・ホーン”でグロスマンに毒づいたが、ルーウィンは出来なかった)。

オスカー・アイザックの歌唱シーンはなかなかイイ。ただし、当時のフォークソングを再現している訳ではない。T・ボーン・バーネットは意図的に現代風にアレンジしたと言う。
使用されているトラディショナルソングのアレンジには、2011年のグラミーでボブ・ディランと共演したこともあるマムフォードアンドサンズのマーカス・マムフォード(キャリー・マリガンの夫である)が参加している。主人公がかつてデュオで活動していた頃のレコード、Fare Thee Well (Dink's Song) をオスカー・アイザックと歌っているのも彼だ。

私はこの映画に、当時の若い音楽家たちをもう少しリスペクトした内容があれば良かったのにと思っている。
ステージの4人組をバカにするシーンに一体どんな意味があるというのか。

アイリッシュセーターの4人組のモデルはクランシー・ブラザーズ
ラストシーンで流れるのはこれまで正式に音源が収録されたことのないボブ・ディランのFarewellだ。今回ボブがこの曲の使用を許可したのは、やはりデイヴへの敬愛の念があるからなのだろう。
しかし、ヴァン・ロンクの自伝を元にし、ヴィレッジにいた名もないフォークシンガーを描いたのだとすれば、その結末は彼らのためにあるべきではないだろうか。ボブの登場は地味でうだつの上がらない多くのシンガーたちが、確かに一つの時代を作ったのだということの答えなのだろうが…一体この映画の主人公は誰なのだ。

と言いつつ、あれ以上のラストシーンは無いと分かっている。

ボブ・ディランという存在抜きにこの時代のフォークを語ることが出来ないように、ボブという名を借りずにデイヴ・ヴァン・ロンクを語ることは不可能かもしれない。それでもこの映画をきっかけにデイヴ・ヴァン・ロンクという男の音楽を聴いてみようと思う人がいたなら、この映画は確かにデイヴ・ヴァン・ロンクの映画なのだ。

Inside Dave Van Ronk - Hang Me Oh Hang Me





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